大泥棒と水の姫君(仮)第一章03b

「まったく、手間のかかる姫だ」
 風は的確に男だけを吹き飛ばし、ミリアはその場で尻餅をついた。そして驚きと嬉しさの混じった表情でクロウを見る。
「さっさと片づけるぞ」
 クロウは男たちの方に向けて右手を突き出し詠唱を始める。
「くそっ、仲間か!」
 さっき吹き飛ばされたリーダーの男はそれを阻止しようと、全力で走る。それはクロウの詠唱速度を上回っていた。
「遅い、遅いぞ!」
 男は拳を振り上げ、クロウに渾身の一撃を加えようとする。ミリアはクロウが殴られる姿を想像して、目を閉じようとした。
「わざとだよ、バカ野郎」
 男が拳を振り上げると同時。クロウは右手を引き戻し、腰を低くした。そして相手の拳の軌道を縫うように体を捻らせ、男の顎を殴り抜く。
 予想外の攻撃を食らった男は、自分の加速度を逆に利用した力で昏倒した。男の仲間たちは狼狽えだす。
「あのリーダーがよりによって格闘戦でやられちまった!」
「これやばいんじゃね?」
「逃げようぜ」
「待ってくれよ!」
 リーダーを残して他の仲間たちは逃げていった。ミリアに押さえられていた男も、いつの間にか戒めから抜け出してそれについて行っていた。
 ミリアはため息をつくクロウを見る。呆れた表情をしているようだが、怒ってはいないようだった。
「クロウさんっ! あの、その」
「まずはあっちが先だ」
 クロウは男たちから解放された少年を指した。その少年は呆然としているようで、地面にへたり込んでいる。
「大丈夫か?」
 クロウは少年に手を差し伸べる。おいしいところを全て持っていくクロウに不満を覚えないでもないミリアだったが、結局助けられる身になってしまったので何も言えずに黙ってその様子を見る。
 少年はクロウの手を取ると立ち上がって元気よく礼をする。
「ありがとう、おにいちゃん!」
 クロウはぶっきらぼうに返事をする。ミリアはその光景を見て羨ましく思う。いくら正義感があっても、勇気があっても、力がなければ誰も救えない。魔法が少し使えるからといって、自分は少し調子に乗っていたのではないか。本当は力がないくせに、誰かを救おうとするから失敗する。結局助けられる側になってしまう。
 少年がこちらに向かってくる。そしてクロウにしたのと同じように礼を言う。
「ありがとう、おねえちゃん!」
 自分は何もしていないのに、とミリアは思う。しかし少年の瞳には、真っ直ぐな感謝の心が籠もっていた。こんなに純粋で真摯な気持ちを前にして、ふてくされている場合ではない、とミリアは少年に笑顔で返す。
「今度からは気をつけてくださいね」
 少年は元気よく返事すると、手を振って裏路地のどこかへ走り去って行った。ミリアも少年に手を振って、見えなくなったところでクロウの方を見る。
「クロウさん、その、ごめんなさい」
 ミリアはクロウに向かって頭を下げた。
「私、クロウさんに失礼なこと言いましたし、勇んで出ていったわりにはすぐ負けちゃうし、結局助けられて・・・・・・。バカみたいですよね。弱いくせに誰かを助けようとするなんて、おこがましいですよね」
 ミリアの青い瞳から一筋滴がこぼれた。これ以上クロウに迷惑を掛けたくないから泣きたくなかったが、止めどない感情の奔流は抑えきれない。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 今彼はどんな表情をしているのだろうか。ミリアは怖くて見ることができない。ただ謝ることしかできない。
 そんなミリアの頭に、柔らかく温かい手の温度が触れる。ミリアはその手を見上げた。その先で、クロウは優しく微笑んでいた。
「まあ、そんなに気にするな。お前は正しいことをしようとしたんだから、卑下する必要はない。誇って良いことだ。ただ、今はまだ結果に結びつける力が弱かっただけだ。それは今から強くなればいいだけのこと」
「クロウさん」
 ミリアはクロウがとても眩しく思えた。自分には手が届かないところにいるように見えた。それでも、近づきたい。近くにいたい。そんな風に思えた。
「でも、あんまり無茶なことはするな。全ての人を救うことはできないのだから。それでも、どうしてもお前が助けたいっていうのなら、その時は力を貸してやる。それだけ覚えておけ」
 そう口にするクロウは、どこか寂しそうに見える。表面には出さないだけで、クロウにも何か”救われない”ものがあるのかもしれない。
 ミリアは涙を拭いた。目元はまだ赤い。しかし前を向かなければならない。彼はもう前を向いて進んでいるのだから。
「落ち着いたか? なら行くぞ」
 ゆっくりと歩きだしたクロウの後を、ミリアは離されないように付いていく。町はもう明るさを増してきていた。