大泥棒と水の姫君(仮)第一章04c

これにて第一章終了。しかし先は長い。


「これが最後の曲がり角だな」
 クロウが言う。しかしミリアは安心していなかった。角を曲がったら、あの魔物がいる可能性もある。その可能性を考慮できないほどミリアは愚かではなかった。だから道の先から聞こえてくる小さな物音にも素早く気づくことができた。
「何か聞こえます」
 それは何かを引きずるような気味の悪い音。あの時聞いた音と同じだった。間違いなくブロブがこの先にいる。
「この先に、あの魔物がいます」
 そう言うと、クロウは少し考えて返事をした。
「なら、一旦戻ろう。それで奴がどこかへ行くまで待つ」
 確かにそれは自らの安全を考えれば、一番良い作戦だった。無駄な戦闘を行うくらいなら逃げた方がまし。しかしミリアはそれに賛成できなかった。
「でも、あれを放っておいたら危険です。せっかく対処方法もわかったんですから、私たちで倒してしまいましょう」
 反対されるのは分かっていた。でも言わざるを得なかった。ミリアは非公式とはいえ、姫なのだ。だから自国の危険を放っておくわけには行かない。
「……仕方ない。ならやるか」
 クロウが返した言葉は、予想と逆だった。
「いいんですか!」
 ミリアは喜びと戸惑いを隠せない声を出す。
「どうせ言っても聞かないんだろう?」
「まあ、そうですけど」
 そう言ってミリアは微笑む。クロウはやれやれと頭をかいた。
「なら、早く行くか」
 クロウはそう言いながら、装備を整えた。リュックを漁って、武器を取り出す。その中にはミリアが見たことのない物があった。
「それは何ですか」
 クロウの取り出したそれは、長円形をしていて、上から金具のような物が伸びている。ミリアは昔食べた南方の果物を思い出した。酸味の中に甘みがあって美味しかったのを覚えている。あれは外見も中身も黄色かったが、クロウの持つそれは深い緑色だった。
「『マジックアイテム』だ。さっき言っていたのがこれだ。威力はあるが、一回しか使えない。もしもの時のためにな」
 クロウはそれをポケットに入れて、「行くぞ」とミリアに言う。
「作戦はどうするんですか」
「この先は直線一本道だ。正面突破しかない。お前が奴に有効な魔法を浴びせて、核が露出したところで俺がそれを攻撃する。核が露出しなかったら、『これ』で終わらせる」
 クロウはポケットのそれを指した。ミリアは頷いてクロウの前に出る。
「それなら私が先に出ますね」
「ああ。気をつけろよ。この衛生環境だと少しの傷が致命傷になりかねないからな」
「はい」
 ミリアは力強く答えた。クロウには頼りっぱなしなので、自分が役に立てるということが嬉しかった。だからといって浮かれているわけにもいかない。相手は王国兵士を軽く一層するような魔物なのだ。
 ミリアは深呼吸をして感覚を研ぎ澄ませる。曲がり角の向こうからは這いずる音が聞こえてくる。距離は少し遠い。呪文詠唱の時間を考えれば、ちょうど良いのかもしれない。
 クロウにアイコンタクトをして、ミリアは角から飛び出す。通路の少し先に気味の悪いブロブの姿があった。そのどす黒い赤は先ほどより黒ずんでいるように見える。おそらくあの色の中には、犠牲になった兵士の血の色が混じっているのだろう。
 ミリアはブロブを見据えて、脳内で魔法を組み立てていく。魔法の威力はこの作業をどれだけ正確に行うかで決まるといっても過言ではない。ミリアは意識を集中させ、魔法を練り上げていく。そして練り上がったところで呪文を唱え、魔法を実際の現象へと変換する。
「マナより出でし火のエレメントよ、我が敵を焼き付くせせ!」
 ミリアはその手をブロブに向け、炎の奔流を放つ。ミリアのマナから生まれた炎は、通路の中を埋め尽くすように流れていく。その熱はブロブを包み、その体を焼き尽した。
「クロウさん!」
 ミリアが叫ぶより早く、クロウはミリアの前へ駆けだしていた。そして炎の止まぬ間に風の魔法を詠唱する。
「風よ、我が敵を切り裂け!」
 巨大な風の刃が炎を押し退けながらブロブに襲いかかる。ブロブは炎に消されなかった体を集めて風の刃を防御する。
「行けるか」
 クロウが呟く。その次の瞬間、ブロブが風の刃を弾くのが見えた。ぶよぶよした体はすぐに再生し、触手のように伸びて敵対する二人を狙う。
「きゃ」
 クロウはとっさにミリアを引き寄せる。その瞬間ミリアの体を槍のように伸びた触手がかすめた。ミリアの右腕から出た血が服を汚す。大きな傷ではなかったが、あまり良い状況とは言えなかった。
「大丈夫か」
「おかげさまで。でも、怒らせちゃったみたいですね。もう一度魔法を唱える隙を与えてくれるかどうか」
 ブロブは複数の触手をその体から伸ばして、二人を狙っていた。魔法で傷ついた箇所はすでに回復しており、すぐには核を狙えない。もう一度さっきの作戦をやり直さなければならない。
「やはりこれを使わなければならないか」
 クロウはポケットのマジックアイテムを見る。
「使うにしても、これ一発で奴の体を全て破壊できるとは限らないから、もう一度魔法を打つ必要があるな」
 そう言っているうちにも、ブロブの触手が再び飛んでくる。クロウはミリアの手を引きながら、曲がり角へ一時退却する。
「どうするんですか」
 ミリアは内心、不安で一杯だった。ブロブの動きは思ったよりも俊敏で、その一撃は必殺の威力を持っている。先ほどの攻撃も、クロウに引き寄せられなければ死んでいただろう。腕の痛みがそれを証明している。ブロブに勝負を挑んだことを後悔してはいないが、だからといって恐怖を打ち負かすことはできなかった。
「どうするも何も、隙が無いなら作ればいい」
 クロウは自信満々に言い放つ。まるで負けることはあり得ないというように堂々と。
「俺が奴に隙を作る。お前はその隙を突いてもう一度魔法を当てる。最後にこれを使って、作戦終了だ。いいな?」
 クロウは畳みかけるように言って、ミリアに反論させなかった。そしてミリアの返事を待たずに、ブロブのいる通路へ飛び出していく。
「あ、クロウさん!」
 ミリアの声にも振り向かず、ブロブに向かっていく。その姿を見て、ミリアは不器用な人だなと思った。クロウはきっと勇気づけようとしているのだ。不安に怯えるミリアを。そのために反論の隙を与えず、勇敢に飛び出していったのだ。
 ミリアは深呼吸をした。ここまでクロウに頼って、自分だけ怯えているわけにはいかない。ミリアは頬を張って、自信を奮い立たせる。そしてクロウを追って飛び出していった。
 クロウはブロブ相手にナイフと魔法で対抗していた。近づいてくる触手をナイフで切り裂き、風の魔法でダメージを与えていく。そのダメージはすぐに回復してしまうのだが、クロウの攻撃は凄まじかった。防御面でも、飛んでくる触手の一撃をひらりひらりと回避していく様子は、まるで踊っているようにも見えた。
 ミリアはそんなクロウを信じて、魔法を作り始める。集中して、ブロブを凌駕する力をイメージし、それを確実に練り上げていく。恐怖はすでに消えていた。想像の炎はミリアの魔力を糧として、現実の力に変わっていく。
「マナより出でし火のエレメントよ、我が敵を焼き付くせ!」
 ミリアはブロブに向けてありったけの力を込めた炎を放った。炎の奔流はブロブの体を再び包み込み、焼き尽くしていく。
「クロウさん!」
 クロウは炎が爆ぜる絶妙なタイミングで距離を取り、ポケットの中を探った。そこには絶大な威力を秘めた『爆弾』がある。その名は『手榴弾』と言うらしい。クロウはミリアの呼びかけに応じて、その封を解くピンを抜いた。
「ミリア、耳を塞いでおけ」
 炎を掻き消さんと足掻くブロブに、手榴弾は投げられた。爆発までの数秒の間に、ブロブは再生を試みるが、炎の勢いはそれを許さない。
「食らえ、クソ野郎」
 ミリアがその耳に手を当てた瞬間、苛烈な光が炸裂した。爆音が鳴り響き、発生した巨大な熱量と爆風に、思わずミリアは尻餅をついた。
 巻き上げられた煙が徐々に消えていく。あんな爆発の中でも、クロウは平気そうだった。冷静に煙の向こうを見つめている。しかし、その先に動くものは無いようだった。
 煙が消えた後、そこに見えたのは、所々崩れた壁と動かなくなったブロブの体だった。ぶよぶよしたゲル状の体は波打つことなく散らばり、もう動くことはなさそうだった。
「やりましたね!」
 ミリアは喜びの声を上げる。
「いや……」
 クロウは何かを探すように歩いていく。すると何かを見つけたようだった。
「それは?」
 ミリアがクロウの見る方を覗くと、小さな赤いぶよぶよしたものが蠢いていた。
「核だな」
 驚いたことに、ブロブはあの爆発の中でも核を守りきったらしい。しかしもう活動する余力は無いらしく、移動することもできないようだった。
「これでとどめだ」
 クロウはそれを勢いよく踏みつぶした。ブロブの核はぐしゃり潰れ、赤い液体が飛び散った。
「さあ、行くぞ」
 クロウは再びミリアの手を取って歩き出す。歩きながらミリアが振り返ると、無惨なブロブの遺骸が目に映った。ミリアはブロブを少し可哀想に思ったが、これが戦いなのだと思考を振り切った。