大泥棒と水の姫君(仮)第一章04b

久々に更新。現実逃避である。

「もう行くんですかっ」
 ミリアが抗議の声を上げる。
「行程が大幅に遅れてるからな。遅くなればなるほど見つかる可能性は増える」
「あのモンスターはどうするんですか?」
 クロウは押し黙った。あれを倒す方法はあるが、その保証はない。今まで何度か魔物と戦ったことはあるが、あのタイプのとは交戦経験がない。
「おにいちゃんたち、あれと戦うんだったらここに本があるよ」
 そう言うと、エルは本棚から一冊の辞典のような分厚い本を取り出す。表紙には魔物図鑑と書かれている。
「こんなものがここにあるなんてな」
 魔物図鑑は結構高価な本だ。昔盗んで売却したが良い値になった。中には魔物の生体について、今分かっていることが結構詳細に書かれている。イラストが付いていて、その魔物の姿も分かるようになっている。その時は必要なかったので、中身はパラパラめくっただけで読まなかったが。
「確かにこれがあれば、対策は練れそうだ」
 クロウはエルから魔物図鑑を受け取って、そのページをペラペラとめくっていく。そしてそれらしき魔物の絵が描かれているページを探し当てる。
「これだな。名前はブロブ。ジェル状の体の中心に核があり、それを攻撃することで倒すことができる」
「これで必勝ですねっ」
 ミリアが嬉しそうに言うが、クロウはそれを完全に肯定できない。なぜなら課題があるからだ。
「しかし問題は奴がこの図鑑に記述されているよりも明らかに大きいことと、どうやって核を露出させるかだな。核を叩くにしても、あのぶよぶよした体が邪魔だ」
 クロウはそう言いながら、ブロブの項をさらに読み進める。
「火や雷の魔法に弱いか」
「私、できますよっ」
 ミリアが目を輝かせて主張する。汚名返上を狙っているのだろうか。
「ならあれは使わなくていいかもな」
「あれ、ですか?」
「マジックアイテムだ。一発しか残っていないから、使いたくないんだが」
「なるほど」
 クロウはエルに魔物図鑑を返して、出ていく準備をする。ブロブと交戦しないなら万歳だが、戦わなければならない予感がする。
「それじゃ、さよならだ」
 クロウは扉の外を伺いながら扉を開け、エルに告げる。
「さようならです」
 ミリアもそれに続いて扉の外に出ていく。
「さようなら」
 エルは手を振ってそれを見送った。クロウは松明をつけ、再びミリアの手を握った。

 物音に気をつけながら、下水道を歩いて行く。何か異変があればミリアの耳が聞き取ってくれるので、いつもよりクロウの気は楽だった。しかし同時に護衛対象があるということでもある。一度戦闘になれば、気苦労は増えるだろう。
 クロウは地図を取り出してルートを確認する。本来の道からかなり離れてしまったので、修正しなければならない。しかしブロブの行った方向などを考慮に入れると、結局戻るのが一番手早そうだった。
 松明の灯火で足下を照らしながら進む。ブロブは火が弱点のようだが、松明に怯えることはなかった。それを考えると火を消した方が遭遇する危険性が低くなる。しかし消してしまうと、今度はミリアとはぐれかねない。足下も不安定だ。
 クロウはそんなジレンマを感じている自分がおかしくなる。今まではそんな悩みを抱いたことはなかった。いつも一人で盗みをこなしてきたからだ。もし一人なら、迷うことなく松明を消して、上から漏れ出るわずかな光をもとに進んでいっただろう。それができる自信もあった。しかし今は違う。誰かを気遣いながら進んでいるのだ。このような経験はクロウに無く、どうしてこうなったかを思い返してクロウは心の中で笑った。
 ブロブに襲われたT字路まで戻ってきた二人は、そのまままっすぐ進む。本来ならこっちがジョン・キューに教えられたルートだ。ブロブのせいでそっちに進むどころか逆方向に走らされてしまったが。
 進むに連れて血の臭いが強くなってきた。おそらく、ブロブと戦った兵士のものだろう。ミリアの握る手がにわかに強さを増した。
 そのまま歩いていくと、松明の光が兵士の武器と思われるものを映した。そのそばには血痕もある。
「あまり見ない方がいい」
 クロウがそう言うと、ミリアは黙って頷いた。臭いだけでもだいぶん辛く感じているようだ。
 その先に進むと、凄惨な光景が広がっていた。荒事には慣れているクロウだったが、それでも少し気分が悪くなるほどだった。
 兵士の武器や防具が散乱しており、壁にはおびただしい量の血が塗られている。下水の中には捻り切られた手と思われるものが浮いており、床には首が転がっていた。
 クロウはそれを避けて歩く。かわいそうだとは思うが、弔ってやる余裕はない。様子を見に来た別の兵士がやるだろう。
 ミリアは薄目を開けながら、歩いているようだった。手は微かに震えている。クロウはその手を引き寄せるようにして、先導していくのだった。
 惨殺現場を抜けると、ミリアが大きく深呼吸した。
「はあ……。少し気分が悪くなりました」
「少し休むか?」
「大丈夫です、それには及びません。でも、あの人たちはあのままにしておくしかないんですね」
「後で誰かが始末するさ」
「……それでも少しかわいそうですね」
 ミリアは悲痛そうな表情でそう言う。心から悲しんでいることは、その声色からも読み取れる。しかしクロウとしては少し心配だった。他人を悼むのは構わないが、それが彼女にとっての重みになるのではないか。だからクロウは言う。
「誰かを気にしてばかりでは生きていけない。感傷に浸るのはほどほどにな」
 ミリアは何か考えるように瞼を閉じて、そして頷く。全て振り切ったわけではないだろうが、それでも今は構わなかった。とりあえず、今動ければいい。
 クロウとミリアは下水道を進んでいった。幸運にも敵には出会わなかった。警戒していたブロブは別の場所を徘徊しているのだろう。もうすぐ出口に着く。最後まで出会わなければいいが、とクロウは願った。しかし嫌な予感は頭から拭い去れなかった。