大泥棒と水の姫君(仮)序章

どっちが使いやすいか試してみるテスト。

序章

 クロウは止まることなく城の中を走り抜けた。その身のこなしの軽さ、そして速さが、彼が”疾風”と呼ばれる由縁である。肩に担いだ盗んだ宝物はかなりの重さが伺えたが、そのスピードは衰えることを知らない。
 城の中は流石「水の国」の王城で、緻密に彩られた豪華な装飾が各所に施されている。そのほとんどは王家の紋章である水の文様をあしらっており、流れる水を意識した青色に染められている。
 突如曲がり角から現れた兵士が、怒鳴り声を上げながらクロウに躍りかかる。振るわれた槍の先端が鼻先をかすめるが、クロウは恐れることなく身をかわし、兵士の横を大胆にも駆け抜ける。兵士は慌てて追いかけようとするが、その鎧の重さもあって、瞬く間に見失ってしまう。
 城内から出たクロウは高い場所を探した。そのまま正門を通って脱出するのは、「大泥棒」を自称する彼でも難しい。かといって他にここから行けそうな出口は無く、また城に戻ってルートを探すというのも不可能だ。だとすれば、高所を探して「空を飛ぶ」他に脱出する方法はない。
 見回せば、夜闇の中に高くそびえる塔があるのが見えた。上の方から光が漏れており、バルコニーのようなものがあるらしい。
 何のための塔なのか。クロウには皆目見当がつかなかった。見張り塔にしては窓もないし、そもそも光が漏れている方向が城の方向だ。あれでは見張りができない。宝物塔ということも考えたが、そんな情報は無かったし、そもそも宝物庫は別にあった。それにバルコニーがあるのも変だ。
 何にせよ、あれだけの高さがあれば十分だ。クロウは早速塔まで走ることにした。今宵の月は新月、身を隠すには都合が良く、駆け抜けても問題ない。
 そして塔の扉まで近づいたクロウは、慎重に中を窺う。中から物音はしなかった。おそらく中に兵士はいないのだろう。
 一気扉を開ける。中に延々と上へ続く螺旋階段があるのが目に入った。石造りの階段はロウソクで照らされているが薄暗く、上の方はほとんど見えない状態だった。鬼が出るか蛇が出るか。クロウは一度深呼吸をして、階段を駆け上がり始めた。
 足音だけが塔の中に響く。何もない階段だけの塔は不気味だった。まるで何か嫌なものを遠ざけているような造りに思える。
 何百段と階段を上がるにつれ、クロウはこの階段が永遠に続いているような感覚に捕らわれた。まるで悪夢のようだ。無限の階段を追われる中上っていく。
 しかしクロウはこれが悪夢ではないことを知っている。この塔は現実に存在するもので、誰かが作った階段であるのだから、終着点は存在する。
 気の遠くなるような長い螺旋階段の後。そこには小さな気の扉があった。十年以上は手入れがされていないような古ぼけた扉だった。
「さあ、何事もなくすめばいいが」
 クロウは心の中でそう呟いて、扉に手を掛けた。

 ミリアはバルコニーから空を見上げていた。満天の星、雲はない。しかし新月なので、いつもより暗い。
 星や星座の名前はすっかり覚えてしまった。天体についての本が無くても、ほとんどの名前をそらんじることができるだろう。
 ミリアはため息をついた。星々の名前が分かったところで、彼女にとっては何の意味もないことだった。知識がいくら手に入っても、それを生かすところがない。それどころか雑談として話す相手すらいない。
 流星が空を駆けた。呆然と夜空を見ていたミリアは手を合わせ、祈るようにして願いを掛ける。ミリアにとっての夜空を見上げる行為は、ただ眠るまでの暇つぶしではなく、叶わない夢を願う行為なのだった。
 不意にミリアの耳が物音を捉えた。城の方から聞こえてくる。慌ただしく兵士たちが移動する音。怒鳴り声も混じっているようだ。何か事件があったようだ。たとえそうだとしても、彼女には関係のないことなのだろう。
 空を見上げるのに物々しい音は必要ない。ミリアは両手で耳をふさぐ。柔らかな体毛の感触が耳をくすぐる。
 彼女の耳は人間のそれとは全く違っていた。頭の上から生えていて、獣の耳のような形状をしている。この耳こそがミリアがここに幽閉されている理由だった。
 獣の耳は魔物の証。ミリアが生まれたときから言われてきたことだ。正確に言えばそれは、魔物の血が混じっているということ。つまり親の片方が魔物であるということだった。
 ミリアの母親は魔物だった。ミリアは一度も会ったことがないが、そう聞いている。つまり彼女がミリアの自由を奪い、この塔に幽閉する原因だった。
 しかし、ミリアは今まで一度も母親のことを恨んだことはない。確かに自由のない生活をしているが、水や食料といったものは保証されていて、生きるのに困らない日々を過ごしている。それはとても幸せなことだとミリアは知っていた。
 それにこの耳は遠くの音でも敏感に聞き取れるし、魔物の血が混じっていることで、ミリアには強い魔力と魔法適正がある。「誰かにちゃんと魔法を教わることができれば、すぐに上達するだろう」これは彼女が以前親しくしていた騎士に言われたことだ。残念ながら、彼は「樹の国」の対魔物戦線へ旅立ってしまい今はもういないが。
 閑話休題、とにかくミリアは誰かを恨んだり絶望することなく生きてきた。今は不自由の身であっても、いつかここを出て誰かの役に立てると信じて。
 ミリアの耳が足音を捉えた。塔の扉が開く音。誰かがこの塔に入り込んだらしい。この塔に来るのは、見回りの兵士か世話係のメイドくらいだが、鎧の音がしないのでまず兵士ではない。あとはメイドである可能性だが、こんな時間に来ることはまずない。それに足音は駆け上がっているようで、それはメイドには通常あり得ない行動だ。
 緊急事態だろうか。それなら先ほどの物音が関係しているのかもしれない。それとも。
 足音はどんどん近づいてくる。ここまで来れば、知らない足音であることは明白だった。どんな理由があるにせよ、こんな塔を上るなんて物好きである。
 ミリアはゆっくりと振り返る。恐れはなかった。自分の命に価値なんてほとんどないのだから。いてもいなくとも同じこと。狙う人間はいない。
 と思いつつもミリアの鼓動は確実に速くなっていた。それは恐怖ではなく、希望を見ていたからだった。
 振り返ってみれば、開くはずのない扉が開いていた。

 扉の先には質素なドレスを纏う少女がいた。年は十三・四歳くらいだろうか。クロウよりも一つ二つ年下に見える。その顔立ちは幼い割には男を魅了する美しさがあり、体つきもガラス細工のような触れれば壊れてしまう儚げな綺麗さがある。
 髪は群青色で腰までの長さがあるが、よく手入れされているようで綺麗に伸びている。瞳は鮮やかな青色で、見た者を一瞬で惹き込んでしまう魅力を秘めている。そしてその二つの特徴は「水の国」の王族の特徴と一致している。
 しかしそれよりもクロウが驚いたのは、その頭から生える耳だった。獣のようなそれは、本来人間が持ち得るはずがなく、クロウは魔物の類かといぶかしんだ。しかし王族の特長があることや、一応身だしなみなどが丁寧に扱われているらしいことを考えれば、それも考えにくい。
 そこまで考えてクロウは思う。今自分がすべきことは、この城の敷地から脱出することだ。そのために考えるべきことは、目の前の少女が邪魔になるかどうかだ。
 その少女は、どう対応するべきか考えあぐねているようで、もじもじしながら慌てている。
「あの、その・・・・・・こんばんはっ」
 鈴のような美しい声。こんな状況でなければもっと聞いていたいと思えるような澄んだ声だった。彼女は考えた結果、どうみても不審者のクロウに挨拶する事に決めたらしい。あまりにも純真な彼女が微笑ましくて、気づけばクロウは笑っていた。
「ど、どうして笑うんですか」
「いきなり入り込んできた不審者に挨拶なんて、ずいぶん脳天気なことだなと思ってな」
「あいさつはとっても大事なんですよ」
「だからって、お前を殺しにきた相手だったらどうするんだよ」
「そうなんですかっ」
「いや、違うけどさ」
 そう答えたところでクロウはふと我に返る。お喋りをしている場合ではない。まだ兵士が来る気配はないが、いつ来てもおかしくはない状況だ。
「ちょっとそこを退いてくれないか」
 クロウは少女に言う。少女が立っているのはバルコニー。彼はそこに用があった。
「どうするつもりですか」
「別におまえはどうもしない。ただ、俺がそこから飛ぶだけさ」
「じ、自殺はだめですよっ」
「大泥棒は追いつめられてもそんな惨めなことはしないから安心しな」
 そう言うとクロウは、宝物袋とは別の鞄から長い鉄の棒を取り出す。そして少女の横を通り過ぎてバルコニーに出ると、棒についていたボタンを押した。すると中から羽のようなものが飛び出し、鉄の棒は瞬く間に形状を変えていった。その姿はまさに翼といえる代物だ。
「展開完了」
「それは・・・・・・?」
「グライダー。空を滑るための道具さ。まあ昔盗んだものだから、詳しいことは分からないが、使い方ぐらいは分かる」
 クロウは宝物袋をグライダーにつり下げて固定し、自身も滑空するための準備を整えていく。
「行っちゃうんですか、大泥棒さん」
「そりゃな。もうそろそろ兵士も来るだろう。あと、俺の名はクロウ。疾風のクロウ。覚えておくといいことあるかもな」
 そう言ってクロウは飛び立とうとする。
「待ってください!」
 しかし少女はそれを止めた。クロウの袖を握って、懇願するように。
「何だ」
「私も盗んでください」
「嫌だ」
「即答ですかっ」
「人身売買は流石の俺でもちょっと」
「そういう意味じゃないですっ」
 クロウは笑いながら少女を見る。しかしその目は笑っておらず、真剣だった。
「何となく事情は察したが、外に出てもいいこと無いぜ。最近は魔物の活動も激しいし、お前みたいな女の子ができる仕事なんてほとんどない」
「そ、そんなの気にしませんっ。何でもしますから!」
「本当に何でもか? 身体売ってもか?」
 クロウは意地悪な笑みを浮かべる。同時にここまで言えば下がるだろうと高をくくる。
「髪の毛とかなら大丈夫です。内臓とかはちょっと」
「そういう意味じゃねえよ! 売春してでも出たいのかって聞いてるんだよ」
 クロウがそう言うと、少女は首を傾げる。
「ばいしゅん・・・・・・? ごめんなさいっ、よく分からないです」
 クロウはため息をついた。この少女はよっぽどの箱入り娘らしい。「純粋すぎるのも困り者だな」とクロウは一人ごちた。
「とにかく、だめだだめだ。あっち行け、しっし!」
「そう言うなら離しませんっ」
 少女はクロウの身体にしがみついた。クロウは引きはがそうとするが、少女も必死らしく、なかなか離れない。
 すると塔を上る音がいくつか聞こえてくる。金具の擦れる音もする。どうやら兵士たちが上って来ているようだ。バルコニーでじゃれあっているのを見つかったのだろう。話をしていて気づくのが遅れた。
「離せ! 兵士が来るだろ」
「嫌ですっ! 連れていってくれないなら、容赦なくお父様のところに突き出しますっ。そうすれば少しは自由がもらえるかもしれませんし」
だが断る! しかしお前結構汚いな。私利私欲に生きてるな」
 そんなやりとりをしているうちに扉の近くまで音が聞こえてきた。クロウにとってはかなり厳しい状況だった。
「くそっ! 何でそんなに力があるんだよ。早く離せ」
「お母様の力です、混血の力ですっ。離しません!」
 クロウは本気で魔法を使って少女を引き離そうか考えた。しかしそれでは少女に浅からぬ傷を与えてしまう。それはクロウの大泥棒としての流儀に反していた。
「わかった! しょうがねぇから連れてってやるよ」
「本当ですかっ!」
「ああ。だからそのまましがみついてろよ。落ちても責任取らねえからな!」
 扉が乱暴に開かれる。兵士が続々と流れ込んでくるが、すでにクロウは準備を完了していた。少女はその背中にしがみつき、その二人を離さないように、しっかりベルトが巻かれている。
「準備はいいか? 飛ぶぞ」
「はいっ!」
 慌てて掴もうとした兵士の手は届かず、二人はクロウの起こした魔法の風に乗って空を滑るように飛んでいく。「姫様がさらわれた!」という声が後ろから聞こえるが、すぐにそんな騒がしさとは無縁の世界に溶けてゆく。聞こえるのは、優しく力強い風の音。見えるのは星の明かりと城下町の灯火。
「そういえば、お前の名前を聞いてなかったな。姫様」
「そうですね。私の名前はミリアです。ミリア・ブリューテ・プリンツェシーン・フォン・オンディーナ・アクアリア」
「長いけどいい名前だ。ミリアまでは覚えた」
「それで十分です。これからは必要ないですから」
 そう言ってミリアは微笑む。星明かりの下、その表情には力強い決意が宿っているように見えた。
「しかしついに俺も姫様をさらった大罪人か」
 クロウは冗談混じりといった口調で苦笑する。
「正直ごめんなさい。殴られたら流石に諦めようと思ったんですけど」
 ミリアは少し反省したように顔をうなだれる。
「まあ、気にするな。俺が決めたことだ。いずれにせよ、この国には行られないし、その荷物がちょっと増えただけだ」
「そう言ってもらえると助かります」
 ミリアはクロウに笑顔を作る。
「ところで、どうして私を連れていっていいと思ったんですか? あんなに反対してたのに」
「まあ、ちょっと心変わりしただけさ。助けを求めてる奴の手を取ることができるなら、取った方がいいんじゃないかと思ってな。それが後で後悔することになるとしてもな」
「そうですか・・・・・・」
 その後二人に会話はなかった。夜風の中、飛び続けるグライダーとその感触に身を任せ、黙ったままでいた。月も知らない二人の行方。星に願った自由は真実なのか。救いは本当に与えられたのか。二人は飛んで行く。始まりの風がグライダーを運んで行く。